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音楽専科 / The Ongaku Senka 1970年 1月

若ものと共に今日のリズムを追いかける鋭敏なフランス人
PAUL MAURIAT
インタビュア: 青木 啓
by Kei Aoki
撮影: 設楽如安
photo by Joan Shitara

釦●特別インタビ


イージーリスニング・ファン待望のポール・モーリア楽団が初来日した。こんどの公演でモーリアは《生のポール・モーリア・サウンド》をたっぷり楽しんでもらおうと、音響装置、楽器の配列にこまかい神経を使っていた。ことにヒット曲ミ恋はみずいろミでは、レコードでお馴染みのサウンドが目のまえで聴けたこともあって、ファンは大喜びだった。ポール・モーリア自身も、楽しい演奏会をということから、フランス的なしゃれたコミカル演技をみせたりして大熱演。はじめての日本公演は大成功であったようだ。

すてきな恩人、モン・パパ

夜の銀座は美しい。いや、チャーミングというべきだろうか。車の窓外を、きらきらと輝やく灯、ネオンの渦が流れて行く。昼間の銀座は、この東京に生まれ東京に育ったぼくでも、ときとしてうんざりするくらい薄よごれ、せせこましい人の波にこずきまわされているようだ。
車のシートに、一週間の東北の旅で疲れた身体をなげ出して、ぼくはこれから逢って話を聞く人、ポール・モーリアを考えていた。
「とんでもない。ぜんぜんつらくはなかった、その、何というかな、教育パパではなかったんです。ムリにピアノの前に座らせることをしなかった。そして音楽の美しさ、楽しさを教えたのです。私はピアノを学ぶことが好きになりました。でも、私が八歳になるまで、そのころはかなり弾けたのですが、父は人さまの前で自慢気に私に演奏させることをしませんでした。父のいうところでは、そんな年齢でピアノがうまく弾けても、まだ本当に音楽を理解できているわけではないつまり、心のないかたちだけの演奏なんだというわけです。ハートのない音楽、それはいかにつまらぬ、いけない音楽かモーリアは、この銀座の灯を、パリの灯とくらべてみるだろうか。ま、そんなことを考えるより、モーリアからどのように話を聞き出すべきだろうかと考えたほうが:。どうも少々ズッコケているようで、構想がまとまらない。だいたい質問の要点はメモしてあるのだが、それがまるでモンタージュのようになってしまってまとまらない。
困ったナ、弱ったナと思っているうちに、車は数寄屋橋交差点の阪急ビル前にわわかりでしょうね。父はてのことを知っていました」ご立派な父上だ。「そうです、父はすばらしい人です、父は私の恩人なのですよ」やがてモーリアはマルセイユのコンセール・ヴァトワール(音楽院)に入り、ピアノ、ハーモニー、ヴァイブラフォンを学んだ。それでとうとう音楽家に?「父は音楽で生活するのは、まったくたいへんなことだ、決してナマやさしいことじゃないと反対でした。でも私は、父の労働時間と同じに演奏して、父の給料の倍の収入を得ることができたら、音楽ついてしまった。エイ、ままよと勢いよく、さっそうと車を出たとたん、両足が舗道と仲よくせずヨロメイタたところはわれながらカッコよくない次第。エレべーターで会場のレストランへ。カーテン越しにデラックスなシャンデリアの見える一室には、まだモーリア登場せず、しばらくカメラマン氏とおしゃべり。このカメラマン氏、コルトレーンのファンとあって、話は大いに発展。突然、ポール・モーリアがあらわれた。ブラウン系で見事に統一した服にスマートな身体をつつみ、あたたかく微笑んでいるモーリア。その後から、真赤なの世界で生活することを許してくれるかと中しました。父はこの中出をしぶしぶ承知しました。私はマルセイユのバンドで演奏し、父よりも一時間余計にかかりましたが、収入は父の三倍くらい得たのです。そこで、今はごらんの通り」なるほど。そしていよいよパリ進出。「パリにきた私は、ジャズに魅せられてしまいました。友人が聞かせてくれた、実にすばらしいジャズ・ピアノのレコードに夢中になったのです」それは何というピアニスト?「テディ・ウイルスンノ」ああ、べニー・グッドマンのコンボで名を挙げた名手テディ。ぼくも大好きです/「やあ、それはうれしい/本当に、テディ・ウイルスンほど美しいピアノを聞かせる人は、あまりいないと思いますね。それにすてきなスイングするリズムの持ち主です。私は思うのですが、だいたい白人はリズムに弱いのではないですか。黒人のスイング感というのはすてきですね」ここで、ボーイさんが飲み物の注文とり。「メロン・ジュースですって?私は知らないなあ、飲んでみましょう」おや、フランスにはメロン・ジュースがないのかな?夫人はミックス・ジュース。間もなく運ばれてきたグラス。グリーンの液体をつくづくながめるモーリア。そのモーリアをみつめる夫人。プロコートをシックに肩にかけて、モーリア夫人がご同行。Monsieur Paul Mauriat, Comment Vous Portez vous?とかなんとか、ヒャアセものの挨拶が済んで席に着き、さあインタビューのはじまり。ポール・モーリア。一九二五年三月四日生まれ。四十四歳というわけだ。写真でみると、その年齢にみえるのだが、ご当人と話をしていると、とてもそんなにはみえない。あの立派な日ひげのせいで写真ではちょっと老けてみえるのかも知れない。まったく明るい、あたたかい声だ。微笑だ。そして、夫人がまたとてもチャーミング。とくに微笑みながら夫君をみつめるプロフィールが美しい。モーリアはマルセイユの生まれ。同じフランスのマエストロ、フランク・プウルセルもマルセイユ生まれ。「そうなんですよ。フランク・プウルセルの生まれたところは、私の家から一五キロほどはなれた場所。彼は私の友人なんです」モーリアの父上は音楽家だったと、ものの本には伝えられているが。「いや、父は郵便局につとめていました。でも実に音楽を愛し、深く理解している人でしてね。そう、音楽家といってもよいでしょうね。四歳からピアノのレッスンがはじまりましたよ。手をとってね」レッスンはつらかった?
フィールがますます美しい。「では:と、エエト……、カンパイ」やあ、日本語とはおそれ入りました。「さて、パリにきてから少し後で、私はエディ・バークレイと知り合いました。エディを知ってますか?」エディ・バークレイはピアニスト。ジャズを愛し、スターを発見し、育て、自分のレコード会社を持っている大物。「彼は私をレコードのアレジャーにしてくれました。一九五九年ごろでした。そこで私はたくさんのシャンソン歌手のために伴奏の編曲をやったわけです。そう、シャルル・アズナヴールなどの」そのころ、モーリア自身のムード音楽レコードはつくらなかったのだろうか。「それがね、プウルセルなどはやっていましたし、バークレイ自身もそのようなオーケストラだけのポピュラー・レコードをつくってはいましたが、正直に申しますと、あまり良い商売にはならなかったんですよ。中にはたいへんよく売れたレコードもありましたがね。ごくわずかなレコードなんです」「でも私は、自分でオーケストラ演奏がやりたかった。とにかく、私はバークレイ・レコードではなく、ほかのレコード会社で、オーケストラのレコードをつくりました。ポール・モーリアの名ではなく、変名を使ったわけです」ああ、ポール・フェルガンですか。「いや、そうではないが、よく知っていましたね。こわいこわい。正しくはポール・フェルセン」ル・フェルセン」Paul FERSENと書いてくれた。「それがかなりうまく行って、とうとう私はフィリップス・レコードと契約を結び、オーケストラで自分の思うとおりの演奏のレコードをつくりはじめたわけです。そして」あの「恋はみずいろ」の大ヒットですね。……「そうですね。私はあまり大ヒットという気が:つまり、実感がなかったのですが、昨年アメリカへ演奏旅行で行ったとき、はじめて大ヒットの実感が得られました。自分でおどろきましたよ。うれしかった」

「シャリオ」はぼくの作品だった

ポール・モーリアは第一級の編曲者、そして指揮者でもあるが、作曲家としても腕をふるっている。シャンソン・ファンのかた、あるいはモーリアのレコード
男。そして何ともはや、タフな男。彼は十八時間もぶっ通しで仕事をする。つき合っていると私はまいってしまうのです。のみ込みの早い男でしてね、レコーディングのとき、十分間もアレンジの仕方をピアノで説明すれば、もうOKですよ。えらい人物です」若手スターはどうでしょう。「ミレーユ・マチュー。彼女はしばらく私の家に住んでおりました。今でも私は彼女の音楽面での相談役です。若いからまだまだ勉強しなければならないが、たいへんすぐれた歌手です。そう、女性ではナナ・ムスクーリ、ニコール・クロワジール、フランソワーズ・アルディ、ミシェル・トゥー、それからとくにフリーダ・ボッカーラがもっともっと伸びる人でしょう。本当に有望です」男性ではいかがですか。こちらではエをお持ちのかたなら、彼の作曲した歌、ナンバーをいくつかご存知のはず。ミレーユ・マチューが歌って大ヒットしたシャンソン「愛の信条」(モン・クレド)はモーリアさんの作曲で、こちらでも大いに愛好されていますよ。作曲はたくさんありますか。「そんなに多くはありません。そう、作曲をはじめたのは五年くらい前からですよ。これまでに作曲した数は、百曲になっていないでしょう」そうですか。もっと多いかと思ったが。
「いやいや。あのね、フランスでは少し前まで、アメリカなどの作品がどんどん入ってきて、それがヒットするから、悲しいことにフランス人の作品はかげにかくれて注目されなかったのです。いくら作っても、なかなか発表できない。発表できても、ごく一部の人が認めるだけでした。そこで、取って置きの私のエピソンリコ・マシアスやアダモが有名ですが。「マシアスは私の友人なんです。アダモは最近、詞がとても良いと思いますね。それから注目されて良い人はミシェル・ポルナレフです。メロディー、詞、そして彼の表現力はたいしたものですよ。そうそう、ミシェル・デルペッシュも見逃せません。まだ、たくさんいることはいるのですが、若いスターというのは、どうかするとお金をもうけて、勉強しなくなる人が多い。残念なことですね。日本ではどうですか?」ああ、これは痛い。勉強をしないスター、勉強をさせぬマスコミ。いろいろな場合。さまざまな環境。「うまい日本の女性歌手がいますね。森山良子という人でした」ありがとうございます。彼女にかわって。

"なぜリズム、、ビートを強調するか"

ポール・モーリアの音楽は、幅広い層にファンを持っているが、とくに若い世代にファンが多い。「そうだとすれば、私の若い人たちと共に進む気持をわかってくれているためでしょうね。私の演奏はたしかに、青木さんのいわれたようにリズム、ビートをはっきりと、強いくらい出している場合が多い。音楽というものは、メロディー、ハーモニー、そしてリズムの三つから成り立ちますね。ところが、ともすればリズムの魅力を軽く考えていた傾向が古くからみられます。とんでもない。リズムは大切なものです。そしてビートの魅力も同様です。若い人はリズム、ビートに生命力を感じます。ロックン・ロール、リズム&ブルースを考えてみれば、いかにリズム、ビートがすばらしい要素であるかがわかります。リズムなしのポピュラー音楽なんて考えられませんね。私に言わせればそうなのです」近く日本でも若い世代の思考、感情をードを青木さんにしましょう」こりゃ、えらいことになってきた。「私はあまりくやしいし、ひとつだましてやれという、いたずら心を起しました。自分の作品をアメリカ人の作品、アメリカのヒット曲だといって発表することにしたのです。(ここで、ニヤリとニコリをミックスした笑顔)、うまく行きましたね」それは何という曲です?「それは『シャリオ』です。ご存知?」えっ、『シャリオ』ですってノ・ペトゥラ・クラークが歌って大ヒットし、つづいて当時リトルのついたペギー・マーチが英語版「アイ・ウイル・フォロー・ヒム」としてミリオン・ヒットとなったあの歌ですか?フランス製とは知っていたか。
「その通り。歌詞はジャック・プラントの作ですが、作曲者として二人の名がついているでしょ。そのデル・ローマは私ポール・モーリア。そしてストールとなっているのが実は友人のフランク・プウルセル。はっはっはっ」アッと驚くタメゴローでアリマスよ。「そのときね、これはアメリカの映画主題歌であるといったのです。出版社が、何という映画かと聞いたので、私は答えました」といってモーリアは私のノートに次のタイトルを書いてくれた。“You’ll Never See It”(あなたはそをみないだろう)「いゃあ、この歌はヒットでした。みんなが好きになってくれましたよ。でもね音楽誌のヒット・パレード欄をみると、アメリカ曲の部に入っているんですね。当然だけれど少しへんな気持でしたよ」モーリアがますます好きになってきた。
「最近の作曲では、『ノクチュルヌ』(蒼いノクターン)が気に入っています。それから、今度の日本公演で初演となりました『ブルー・トロンボーン』があります。これはジャズ的な感じもある曲なんです」モーリアさんの好きなジャズメンを挙げてください。「たくさんおりますが、テディ・ウイルスンのほかに、デイジー・ガレスピー、マイルス・デヴィス、ジョン・コルトレーン」カメラマン氏がゴキゲンになったデス。

アズナヴールはタフな男

モーリアさんにフランスのポピュラー・スターについてうかがってみよう。「そう、いろいろな人がいます。シャル大胆に表現するミくュージカル「ヘア」が上演されるのですが。「私もニューヨークとパリで、二度みましたよ。妻も一緒でした」いかがでしたか。「うーん。二つの見方がありますね。音楽的な面と、若い世代の思考の面です。音楽の面でなら、おそらく誰もがすばらしいと思うでしょう。さて、思考、感情の表出という面では、各人各様の受け取り方があると思います。しかし、そのように二つの見方をするのは正しいとはいるないかも知れない。ヒッピーのような人々、そうした思想の持ち主は、いつの時代でもいることだと思います。何らかのかたちで社会の前進、そして反省に役立っていると思います。私は「ヘア」をごらんになるご年配のかたに申し上げたい。それはね、いまの若いもののやることは、なんて頭から固定した観念を持ってしまうことは、どうしょうもない老化現象のはじまりだということです。タブーをまず放棄してみることです。まず若い人々の間に参加してみることです。フランスにこんなことわざがあります。不幸というのは人の一番後ろを歩くこと」

ミュージ力ルよりも 映画音楽をかきたい

ポール・モーリアは、ルイ・ド・フュネス主演の映画「ニューヨーク大混戦」で、レーモン・ルフェーブルと共に音楽を担当した。映画音楽はまた手掛けるだろうか。「やりたいですね。でも、現在の私はとても、エエト……イソガシイです。だがミュージカルよりもやってみたいのが映画音楽ですよ。もしかすると、近いうちに、またアメリカへ行って、仕事をするかも知れません。」予定の一時間を、なんと四十分もオーバーしてしまった。では、ラストに愚問をひとつ。モーリアさんの立派な口ひげはいつごろから?「やあ、これですか。そうですね、一九四九年ごろからかな?このひげのおかげで妻を得たのですよ。十七年前です。妻はこのひげを、愛のほうきんと呼んでいます」ほがらかに笑うポール・モーリア。彼をみつめて微笑む夫人のプロフィールはやはりとても美しかった。

photo 1: モーリア「あまりに美しいテディ・ウイルスンのピアノ……」
photo 2: 「あまりくやしくて、いたずらを……」とモーリア氏
Photo 3: つつましい美人のイレーヌさん


"FM fan" magazine, 1976, no.19

Colour special
PAUL MAURIAT. LOVE IS STILL BLUE


日本びいきのポール・モーリア。新しいメロディガ浮かぶとすぐにピアノに向かい、日本製のスピーカーを通してその曲の出来具合を確かめる。「音楽は誰もガ親しめ楽しめるものでなくては...」というのガ彼の信条だろうか。恋人と語らっている時も、一人で孤独の時間を過ごす時にも、ボール・モーリアの作り出すサウンドは抵抗なく耳に入つてくる。新作アルバムでみせだ新鮮なアレンジを持つて、10月にはまだ"第二の故郷"日本へ戻ってくる。


"FM fan" magazine, 1978, no.25

Colour special
PAUL MAURIAT IN CROSSOVER


来年3月に来日するポール・モーリア。‶イージーリスニングポール・モーリアを中心に動く‶といわれるほどの人気とサウンド・メイキングは、いまさら紹介する必要のないくらいだ。その彼も、ひとつのサウンドのうえにどっかりと腰を下ろしたままというわけでなく、「常に新しいものを求めるのが制作信条」というように、時代にマッチした音楽にも意欲をみせている。
その‶実験‶ともいうべきものが、ジョン・トロペイ、ブレッカー・ブラザーズ、リチャート・ティーら、ニューヨークで活躍するスタジオ・ミュージシャンを従えてレコーディンクした「オーバーシーズ・コール」だ。いわゆるクロスオーバーに挑戦したアルバムというわけだが、最近ブラジルものと取り組んたりしたポール・モーリアの新境地を示したものといえよう。ジャズ・フィーリングと、フランス人ならてはのエレガントなセンスがミックスされた不思議な味の作品である。おそらく来年のコンサートてもみせてくれるてあろう‶ニュー・ポール・モーリア‶の姿が、ここでも十分にうかがわれる。


"FM fan" magazine, 1980, no.12

Colour special
PAUL MAURIAT. BRAZILIAN HOT SOUND III

7月に「ブラジル・シリーズ」第3弾


ことし春55歳の誕生日を迎えだポール・モーリア。この秋には10度目の来日公演が予定されていて、ちよつとしだ区切りの年になりそう。レコーディングにも相変わらず精力的で、ア月には、先のロ南米旅行の成果を踏まえだリス「録音のLP「工アロソング」(仮題)ガ発売される。「アルフオンシーナと海」(アルゼンチンのタンゴ)、「灰色の雲」(ベルーのワルツ)など訪問国の歌に加えて、スリジナル1曲が収められ、サウンド的にはガなり熱つぼいムード。彼にとっては「愛の終わりのサンバ」「夜明けのカー二バル」に続いてこのシリース3枚目。従来のシンブルなヨー口ツパ・ムードからは離れだ意欲的な作品になつているが、秋の来日に合わせてア月にパリでレコーディングされる予定の新作は、正統的なボール・モーリア・ファンも満足できるLPになるとのこと。世の中が騒々しくなるにつれ、モーリア・サウンドのような安らぎと落ち着きを与える音楽の必要性も大きくなってくる。リチャード・クレイダーマン、フランク・ミルズなど若手のミュージシャンの台頭が目立つイージー・リス二ング界だが、大御所ボール・モーリアはまだまだ健在である。

On photo: 市内を愛妻とねり歩く


"FM fan" magazine, 1981, no.30

Colour special
PAUL MAURIAT. THE CHEF OF LOVE SOUNDS
本誌特別取材'81パリ・コレクション⓹


Pages 1 - 2

On photo 1:
▲撮影中犬を連れた老人に話しかけられた「あんたのアザラシの毛皮もいいけど笑顔はもっとすばらしいよ」
On photo 2 (Bois de Boulogne):
自宅から遠くない所に位置するブーローニュの森で
On photo 3 (drive the car):
▲愛車(BMW)を運転するモーリア

ポール・モーリアの根強い人気を物語るデータがある。昨年来日しだアーティストの中で、コンサート動員の一番多かつだのが、ポール・モーリアだったそうだ。全国津々浦々、これだけひんばんにコンサートを開いて、ファンの支持を集めだミュージシャンはさらにはいない。めまぐるしく移りゆくポピュラー地図の上で、ポール・モーリアは、確固だる位置を占め続けている。一口に10年といっても、大変な歳月である。この間、彼は驚くほど大量の、しかも質の高い音楽を作り、世に送り出してきだ。アレンジのオ能の豊かさという点では、彼の在に出るものはいないだろう。ヒット曲をポップに、華麗に展開するモーリア・ミュージックは、来日の度に、何ガ新しいものをつけ加えてきだし、それだけ若いファンを魅了し続けてきだ。もちろんそれは、モーリアが世界に耳を開いて、いち早く現代感覚にマッチしだ曲作りに成功しているだめばかりではない。フランスという土壌に

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根づきながらポップを目指すミュージシャンのもつ、微妙なバランス感覚の見事さとでも言ったらいいのだろうか。オーケストラの華やかなムードとポップなリズム感覚との間を揺れ動く振り子は、自由自在に振れ動き、聴く者の心を自然になごませてしまう。「恋はみずいろ」のヒット以来、イージーリス二ングの世界に君臨してきだポール・モーリアの端整な笑顔に接する度に、彼こそポピユラー音楽の「料理番」に一番ふさわしいのではないかという気がしてならない。=1月30日昼ヌイイの自宅及びブーローニュの森で(摄影·米田泰久)
*
ポール・モーリアの新作は6月ごろ発売予定。「ウーマン・イン・ラブ」や「ギルティ」などパリでヒットしているポップスを中心に構成されている。

On photo 4 (with Adamo):
時ならぬ「2大スターの共演」地下鉄の駅で偶然にアダモと出会った全くのハプニングである
On photo 5 (Boulevard house 59):
パリの高級住宅街ヌイイにあるモーリアのマンションここの3フロア分を使っている


"FM fan" magazine, 1983, no.20

日本の秋を彩るポール・モーリア

映画、コンサート、新譜......最新情報

PAUL MAURIAT


季節はいつの間にか、秋。イージーリスニング・ミュージックを聴くのに最適な季節の訪れである。数多くあるイージーリスニングのレコードの中で、やはりまずポール・モーリアのものに手が出てしまう、とおっしゃる方は相変わらず多いようだが、特に今年の秋はその傾向が強まりそう。
なぜなら、まず、映画「オータム・ストーリー」が封切られる。不治の病であと6週間の生命・・・といわれた少女が、バレエに賭ける物語のテーマ音楽を、ポール・モーリアが自作自演で、さらにドラマティックに盛り上げている。これまでに、ヨーロッパ各国や日本の映画のために音楽を書いたことはあるが、アメリカ映画の音楽は今回が初めて。映画全体の音楽は主演者でもあるダドリー・ムーアが書いているが、ただ1曲のテーマ曲をポール・モーリアが書いたため、映画そのものまでがヨーロッパ的上品な印象になってしまったと評判。映画も音楽もヒット、という久しぶりの快挙が、今秋は実現しそう。
もうひとつ、13回目の来日がある。10月15日(東京)から12月5日(大阪)までの50日間、今回も精力的に日本の秋をより彩り華やかに演出してまわるわけだ。ストリングスの美しさが初期のころと同じ魅力を持つようになった最近のポール・モーリア。第2期黄金時代を今迎えているといえるだけに、この目で、この耳で実際に確かめたくなるのではないだろうか。
映画館とコンサート・ホールでポール・モーリア・サウンドを満喫した次の日は、もちろん自分の部屋でレコードを取り出して1人だけの音楽鑑賞ー。先ごろ出た「恋する瞳』に続く最新作として、来日に間に合うように『フラッシュダンス/ポール・モーリア』が発売準備中らしい。「愛をもう一度」(セルジオ・メンデス)「ウーマン・イン・ユー」(ビージーズ)などの最新ヒットの数々が、ディジタル録音で収録されているという。楽しみだ。
(宫本警/Mr. Miyamoto)

"「ある愛の詩」を超えた80年代の新しい涙の物語"とワシントン・ポスト紙が評した映画「オータム・ストーリー」涙のクライマックス・シーンをポール・モーリアの音楽がドラマティックに盛り上げる

(写真提供・東室東和/photo: Towa Higashiro)


"FM fan" magazine, 1984, no.3

ポール・モーリアとイ・ムジチが東京て、出会った?


クラシックとポピュラー音楽それぞれの分野で抜群の人気を誇るVIP同士が、東京の銀座で初めて顔を合わせた。クラシック音楽のイージー・リスニング派というか、ジャンルや世代を超えて多くの音楽ファンに愛されているイ・ムジチ合奏団と、バロック音楽も演奏するイージー・リスニングの雄ポール・モーリア。お互いに名前だけは知っていても声をかけ合ったことはないこの人気楽団のリーダー同士が、旅先の日本でバッタリ。握手を交わした。「恋はみずいろ」の大ヒットでビルボードのチャート第1位にもランクされたイージー・リスニングのビッグ・スター、ボール・モーリアは自らのオーケストラを率いて13回目の来日。今回の日本楽旅でもなんと30万人を動員したという。音楽活動20年で1420曲をレコーディングしたという精力的な仕事ぶりも驚異だが、定評のある曲をそのつどアレンジを変えて聴き手を魅了する手腕もさすが。近年はチェンバロを表面に出したりするクラシカルなアンサンブルが好評だ。マルセイユ出身らしい地中海的な明るさは、イタリア・バ
ロックの王者イ・ムジチの魅力に通じるものがあるのかもしれない。一方、"「四季」のイ・ムジチ""イ・ムジチの「四季」"としてあまりにも名高いイ・ムジチ合奏団の来日は10回目。日本で彼らの演奏会を聴いた人はのべ40万人を超える。現在のコンサート・マスターは4代目のピーナ・カルミレッリ。イ・ムジチの「四季」、日本でのLP売り上げトータルが200万枚。これはクラシックのレコードとしては破格のもの。もちろんイ・ムジチのお得意は「四季」だけではない。フルート協奏曲の「海の嵐」や「忠実な羊飼い」は定評のあるものだし、それらを含む「ヴィヴァルディ大全集」(Ph15PC233〜58\39,000)といった大作もある。「四季」に続いて人気急上昇中なのは「アルビノーニのアダージョ」(Ph28PC85、28CT9=カセット)。オーソン・ウェルズの映画「審判」にも使われた名曲だ。ポール・モーリアとピーナ・カルミレッリ、それにイ・ムジチのメンバーたちは、あわただしい演奏会のあい間をぬって、冬の1日、"銀ブラ"を楽しんだ。(撮影・太田威重)

on photo:
相変わらずダンディなモーリアと、イタリアの名バイオリニスト、カルミレッリ女史


"Shukan Asahi"週刊朝日Magazine, 1985/12/13

EUROPE & AMERICA
男たちの居心地空間
連載11写真と文=南川三治

ポール・モーリア
Paul Mauriat●1925年マルセイユ生まれ。59年にパリへ出てアレンジャーの仕事をしたあと、自分の楽団を持つ。ミレイユ・マチューの「愛の信条」のほか、「エーゲ海の真珠」「オリーブの首飾り」などの代表作がある。


工グゼクティブの町


パリのシャンゼリゼ大通りをまっすぐに進み、凱旋門を抜けてしばらく行くと、セーヌ川にぶつかる。その一帯はヌイイ地区と呼ばれ、パリで働くエグゼクティブたちが好んで暮らす、高級住宅街である。セーヌ川から立ちのぼる冬の重い霧の中を毎朝、犬を散歩させる老人の姿がみえる。鼻の頭を真っ赤にしながらジョギングをしている若者もいる。「恋はみずいろ」など、イージーリスニングのヒット曲を数々生んだポール・モーリアも、ヌイイ地区の住人のひとりだ。七年前から、四階を事務所兼スタジオに、三階を自宅にして、夫人とふたりで住んでいる。自宅部分の広さは約百平方km。寝室と食堂、それに十五畳分くらいのサロンがひとつのフラットに納まっている。サロンの床にはペルシャ滅談が敷き込まれ、壁には友人たちから贈られたタピストリーがかかっている。「このあたりはパリの中心街に近いのが魅力なんだ。なにしろ凱旋門まで車で五分。分きざみのスケジュールに追われる人間には大変地の利がいい。しかも静かでね。朝夕には小鳥のさえずりも聞こえるんだ」ヌイイ以外にも別荘を南フランスとスペイン国境のペルピニオンに持っている。「夏場は、そこで一カ月半ほどのバカンスをのんびり過ごす。日本の友人を招待することもよくあります」この秋は、日本全国二十カ所あまりのコンサートツアーを行い、その準備に一カ月前から忙殺された。細身の体のどこにこんな力が潜んでいるのかと不思議に思えるくらい、エネルギッシュに仕事をこなしている。「かなり以前からシンフォニーオーケストラを指揮したいとは思っていたんだけど、なかなか機会がなくてね、それを来年はぜひ実現したいと思っています。もフランス国内で発売されたレコードだけでも、彼が作曲したのは八百曲を超える。
そして、忙しい公演のあい間をぬって、フィレンンツェやローマに出掛け、美術館や骨董品屋をめぐりながら、次の作品の構想を練るのだという。


Asahi Shimbun 朝日新聞 1996/02/14

6年ぶり来日のポール・モーリア

音楽に完べきなゴールなし

71歳、くハードな日程も楽々


「恋はみずいろ」「オリーブの宙飾り」などのヒット曲でおなじみの指那者、ポール・モーリアが六年ぶりにオーケストラを率いて来日し、各地でコンサートを開いた。今年七十一戴。「やりたいことをやるのに何の心配もないよ」と、休みなしでハードな演炎スケジュールをこなした。
十八歳で音楽活動をはじめ、半世紀以上たつ。ポール・モーリア。グランド・オーケストラは結成三十周年を迎える。イージーリスニングと呼はれた彼の膏楽は、かつての勢いほないものの、十九回目となる今回の十郡市・十四公演でも各会場はほぽ満鵬。息の長い人気を傑っている。大の親日家として知られ、「初来日から、日本滞在日数を合計すれは三年分くらいにはなるでしょう」と笑う。「日本のコンサートで"おみやげ"の習慣を知った。感動したお客さんからその場でマフラーやジャケットなどを頂いたこともある。今もすべてパリの圏宅にありますよ」。昨編の阪神大盤災では、レイモン。ルフェーブルらとカルテヅト・フォー・神戸を結成し、チャリティーアルバムも発裂した。「膏榮を区別するのは嫌い」の欝葉通り、取り上げてきた作品はクラシヅクからジャズ、ラテン、ポップス、日本のヒヅト曲まで幅広い。「一帝大班姑のは、肉分の心で感じたものを伝え、相手の心に何かを厚えること」。それが不変の圏分の考え方だと舗る。引退について聞くと、「契は前回の来日ツアー(九〇郎)が最後だろう、と心の中では思っていた。でも、音楽に完ぺきなゴールはありません。時陶がたち、再びやろうという気になった。先のことは園分でもわからないのです」。

On photo:
「健康の秘けつ?食事の時に飲む一杯のフランスワインかな」と語るポール。モーリア=束京。新宿のホテルで

e-mail: mail@paulmauriat.ru


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